Tuesday, August 4, 2009

ミュール

公衆の面前で初めて、恥ずかしげもなくミュールを履いた足を出した女性はドロン伯爵夫人、と言われていますが、これは年代もはっきりしており、1694年のことです。

ミュール(スリッパ)は、これもまた古代から各地にありましたが、古代ローマで一部の地位の高い男性のみが着用を許されていた、赤いサンダルタイプの靴mulleus calceusのmulleusが、現在のミュール(mule)の語源のようです。代々のローマ法王もこのタイプの靴を履きました。つまり、男性が当たり前に履いていたものです。

ただし、このmulleusは靴ではなくその色を示す言葉です(calceusが靴)。この言葉を辿ってみると(私には)面白かったので言及しますと、 ラテン語のmulleusは、地中海のred mulletという魚のmulletのこと。これは日本のカサゴの様な、それよりも少し青味の強い綺麗な赤い魚です(さっぱりした白身で美味しい)。ローマ人の靴mulleus calceusは、その赤い色と艶が、この魚と似ていたことから名づけられたもののようです。

同時期のローマに、もっと今で言うミュールに近いスリッパも普通にあり、こちらの名前はsoccus。これは男性用はともかく、女性用は柔らかい革製の家の中に限られたスリッパで、人前で履くものではありませんでした。このようなスリッパを履いて堂々と道を歩けたのは、高級娼婦だけ。と言う以前に、きちんとした女性は無闇に外出することはありませんでしたが、娼婦は何かと自由に振る舞えたので、室内履きのスリッパでも平気で出歩いたのでしょうか。(ちなみに当時は左右がありました)
いずれにせよこのスリッパは、その後何世紀ものあいだ室内履きとして、男性にも女性にも使われ続けます。そしてこれにミュールという言葉が使われ始めたのは16世紀中頃です。

17世紀後半に、詳しいことはここでは書きませんが、貴族階級の女性の間でカジュアルな服装が流行ります。これは、それまでの室内/寝室着がちょっとした外出着に変貌をとげたものでしたが、「トータルコーディネート」の意識からでしょうか、服に伴って靴も寝室から街へ繰り出して行ったのです。もちろん上質の革や絹製だったり、レースやリボンで飾り立てられたものでした。

さて、ドロン伯爵婦人は若い頃は、大変な貞操観念の希薄さで知られた女性だったようですが、1694年というと既に60歳くらいでした。
教会へ行くと床にひざまずいたりします。この時に高貴な女性はクッションを使うことが許されていました。ドロン婦人は教会で、つまり大衆の集まりの中でわざと横座りして、グリーンのストッキングと赤いヒールのミュールが見えるようにしたんだとか。彼女が見せたかったのが最新流行の靴なのか、ストッキングなのか、それとも彼女自身が注目を浴びたかったのか、その辺りは分かりませんが、それまでの「室内の、人前にでない姿の時の履物」のイメージは、そうそう変わるものではなかったでしょうし、よほどショッキングだったのでしょう。この場面を描いた当時の絵があるほどです。

18世紀になると絵画でもよく見られるように、ミュールは当たり前になりますが、この頃のヨーロッパ貴族の生活はかなり乱れたものでもありました。つま先は隠されているが、かかとは出ている。簡単に脱げる。考えてみれば非常に思わせぶりな靴です。ファッションと社会の関連性も、この頃になると現れてきます。

ミュールというと今は女性のものですが、昔は室内履きのスリッパの事で、例えば17世紀後半のある貴族の男性の日課が『朝起きてミュールに足を突っ込む』でした。ミュールというと今もセクシーな靴のイメージが強いのは、ローマの昔から綿々と続く、もともとは室内履き、つまりむやみに人に見せないものであった歴史から来ているのだと思われます。

左の女性(絵の下の記述は Madame la Comtesse d'Olonne, ドロン伯爵夫人)の絵は左足のかかととミュールがポイント。でもそれだけでなく、最新のファッションに身を包んでいます。

pictures from top
The Swing
(Les hasards heureux de l'escarpolette) by Jean-Honoré Fragonard
17th century engraving, Madame la Comtesse d'Olonne

No comments: